
目次
「15年後、すべてのクラブにSDができる」
- アーセナル-ベンゲルと過ごした8年間
- トッテナム—SDという役職を「作った」男
- リヴァプール—ビリー・ビーンが推薦した男
- トゥールーズで起こした奇跡
- ユヴェントスのCEOへ
- コモリが体現する「SDという仕事の本質」
「15年後、すべてのクラブにSDができる」
2005年。トッテナム・ホットスパーの記者会見。
フランク・アーネセンの後任として新たにスポーツ・ディレクター(SD)に就任した男に、記者たちは懐疑的な質問を投げかけた。「そんな役職が本当に機能するのか?」
コモリはその問いに対して、こう答えた。
「15年後、すべてのクラブにスポーツ・ディレクターができるだろう」と。
室内に漂う空気は、おそらく半信半疑だったはずだ。当時のイングランドサッカーは、監督が選手獲得から戦術まで全権を持つ「マネージャー万能主義」が支配していた。SDという概念自体、まだ多くの人間にとって馴染みが薄い存在だった。
だが今、誰もがあの発言の正しさを知っている。
ダミアン・コモリ
1971年生まれ、フランス南部ベジエ出身。
モナコのアカデミーコーチからキャリアをスタートし、アーセナルのスカウト、サンテティエンヌ・トッテナム・リバプール・フェネルバフチェのSD、そしてトゥールーズの会長を経て、2025年6月にユヴェントスのGMに就任した。30年以上にわたり、欧州サッカーのフロントオフィスを渡り歩いてきた男。
1. アーセナル-ベンゲルと過ごした8年間
コモリがサッカーのフロントに足を踏み入れたのは、1996年のことだった。
モナコのU-16コーチ時代に出会ったアーセン・ベンゲルに誘われ、アーセナルの欧州スカウトとしてキャリアをスタートした。法学の学位を持ち、フランス人のコーチング資格も取得していたコモリにとって、ベンゲルとの仕事は知的刺激に満ちたものだった。

ベンゲルのサッカー哲学は、当時のイングランドで異端だった。フランス人の監督、プレミアリーグへの外国人選手の大量投入、食事管理と科学的トレーニングの導入。コモリはその傍らで8年間、欧州中の若い才能を探し続けた。
コモリはこの時期、コロ・トゥーレの獲得を主導した。
スカウティングの仕事とは、数字と観察を組み合わせながら「市場が気づいていない価値」を見つけることだと、彼はこの時代に学んだ。
ベンゲルという師匠から学んだのは、戦術や選手眼だけではない。「なぜそうするのか」を常に問い続ける知的習慣と、信念を持った意思決定の姿勢だった。これがコモリのSDとしての原点になる。
2. トッテナム—SDという役職を「作った」男

2005年、トッテナムへの移籍はコモリにとって大きな転機だった。
トッテナムに就任したコモリは、医療部門、アカデミー、スカウティング、クラブ事務局まで全体の責任を持つスポーティングダイレクター(SD)職を担った。それはイングランドにおける「SDという役職の実証実験」でもあった。
この時期、コモリは自らの哲学を形成する大きなきっかけを得る。2006年のW杯ドイツ大会で、コモリはビリー・ビーンと会談。マイケル・ルイスの著書『マネーボール』を手渡されたコモリは、一気に読み終え、ビーンに直接連絡を取り、ミュンヘンで対話の機会を設けた。野球という全く異なるスポーツが生み出したデータ革命が、コモリのサッカー観を根底から揺さぶった。
「市場の非効率を突く」「感情ではなく数字で決断する」
——ビーンの哲学は、コモリが漠然と感じていた直感を理論化してくれるものだった。
この体験が、後のコモリのすべての行動原理になる。
トッテナムで監督のマーティン・ヨルと協力して臨んだ移籍戦略は、データ分析の観点から進めた。オプタのデータを使い、トップ4との差を定量化し、その差を埋めるために必要な選手プロフィールを割り出した。その結果として獲得したのが、ディミタル・ベルバトフ、ルカ・モドリッチ、そしてガレス・ベイルだった。

特にモドリッチの獲得はコモリの誇りだ。
クロアチアの若い才能を市場が正当に評価していない段階で獲得したこの判断は、データと直感の融合が生んだ成果だった。
しかしトッテナムでの仕事は、長続きしなかった。監督のジュアンデ・ラモスとの関係が悪化し、リーグ開幕8試合で勝ち点2という惨敗の責任を取る形で、コモリはラモスとともに解任された。
SDとは、結果がすべて問われる仕事でもある。彼はその現実を学んだ。
3. リヴァプール-ビリー・ビーンが推薦した男
2010年。リヴァプールにとって苦境の時代だった。
クラブを買収したFSG(フェンウェイ・スポーツ・グループ)のジョン・ヘンリーは、野球のGMのような役職をフットボールにも設けたいと考えていた。そこでヘンリーに「適任者」を推薦したのは、ほかならぬビリー・ビーンだった。そして、その名前に、ダミアン・コモリが挙がった。
マネーボールの産みの親が、ヨーロッパのサッカーフロントに推薦する人物——それがコモリのポジショニングを端的に表している。
コモリはリヴァプールに赴任するや、トッテナム時代の同僚マイケル・エドワーズを引き連れてきた。リヴァプールのデータ分析部門を構築したのも、このエドワーズだ。のちにエドワーズはコモリの後任SDとなり、ユルゲン・クロップとともにリヴァプールの黄金時代を築く。
コモリ自身のリバプールでの成績は、賛否両論だった。ルイス・スアレスとジョーダン・ヘンダーソンの獲得はコモリの判断だった。スアレスはその後リバプール史上最高の選手のひとりとなり、ヘンダーソンはキャプテンとしてCLとプレミアリーグのタイトルを手にする。

一方でスチュワート・ダウニングやチャーリー・アダムの獲得は結果的に失敗に終わり、アンディ・キャロルへの巨額投資も批判された。
コモリはヘンダーソンの移籍こそが解任の直接的な引き金だったと後に語っている。オーナーはヘンダーソンの移籍を「間違いだった」と言ったが、コモリはその評価に今でも納得していない。
これがフロントオフィスの現実だ。先見性のある判断は、即座に評価されない。解任されたフロントマンが正しかったと証明されるのは、数年後のことが多いのだ。
4. トゥールーズで起こした奇跡
リバプールを去ったコモリは、約8年間、クラブの表舞台から離れた。
その間、彼は欧州のクラブから非公式のコンサルティングを求められ続けた。多くのクラブが「数字でどう選手を評価するか」をコモリに問いにきた。フロントにいなくても、彼の知識と哲学への需要は消えなかった。
転機が訪れたのは2020年。アメリカの投資ファンド、レッドバード・キャピタルがリーグ・ドゥに降格したばかりのトゥールーズFCを買収した際、ビリー・ビーンがオーナーにコモリを推薦した。再びビーンの名前が出てきた。コモリとビーン—この二人の縁は、サッカーとベースボールの垣根を超えて続いていた。
コモリはトゥールーズの会長に就任。SDではなく、クラブの経営トップとして入閣した。
コモリが加入した当時のトゥールーズは、ファンとの関係が崩壊し、スポンサーも離れ、17年ぶりにフランスリーグ2に落ちた満身創痍のクラブだった。コモリが最初にやったことは、チームの補強ではなかった。クラブとコミュニティの「再接続」だった。
コモリはクラブカラーである紫をアイデンティティの核に据え、ファン、スポンサー、メディア、地域コミュニティとの関係を徹底的に再構築。その結果、リーグ2にいた期間でさえ、リーグ1時代より収益が倍増。
そして、ピッチ上の戦略は、まさにマネーボールだった。
コモリはレッドバードが持つ分析会社「ゼラス(Zelus Analytics)」のデータを活用し、ほぼすべての意思決定をデータドリブンで行った。選手の獲得・放出、対戦相手の分析、自チームの評価まで、あらゆる場面でデータが判断の基盤となった。
クラブには4万人以上の選手データが蓄積されており、購入した外部データを独自のアルゴリズムで処理することで、市場が見落としている選手を発掘した。
その結果として生まれた具体的な成功例が、イングランドのMKドンズからの移籍でリーグ2得点王となったリース・ヒーリーと、オランダ2部から獲得しリーグ2アシスト王となったブランコ・ファン・デン・ボーメンだ。ファンのあいだでは最初「誰?」という反応だったが、二人はシーズンを席巻した。
2022年、トゥールーズはリーグ2を制してリーグ1に昇格。2023年にはクラブ史上初のクープ・ド・フランス優勝を飾った。そして2023-24シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは、リヴァプールを撃破するという歴史的な勝利も記録。

コモリが去ったかつての職場を、新しい職場で倒す
——このドラマ的な場面は、欧州でも大きな話題を呼んだ。
5. ユヴェントスのCEOへ
2025年6月、コモリはトゥールーズを離れ、ユヴェントスのGMに就任した。

就任からわずか5カ月後の2025年11月、コモリは取締役会の決定によりCEOへと昇格した。GM職は廃止され、コモリが競技・経営の全権を握る体制に移行した。
就任会見でコモリは「エルカン(ユヴェントスのオーナー)は私と同じようにフットボールに情熱を持っている。ユヴェントスへのコミットメントは本物だ」と語り、「勝つことだけが目標だ」と宣言した。
コモリはユヴェントスでも即座に組織改革に着手。
SDとテクニカルディレクターの職を分離し、クラブレジェンドのジョルジョ・キエッリーニをフットボール戦略ディレクターに、フランソワ・モデストをテクニカルディレクターにそれぞれ任命した。
コモリのユヴェントスは「データ中心の組織改革」を着実に進めている。
6. コモリが体現する「SDという仕事の本質」
コモリのキャリアを振り返ると、ひとつの一貫したテーマが浮かびあがる。
「市場の非効率を突く」という哲学だ。
コモリ自身はこう語っている。
「私の執念は、市場における競争優位を見つけることだ。それは数字を使うことでしか達成できない」。
だが同時に、コモリは「データ至上主義者」ではない。
コモリは選手をデータや映像で評価することと、選手の人間性を理解することは別物だと語る。かつては試合を直接観るために世界中を飛び回っていたが、今は選手の人格、トレーニングへの姿勢、精神的な安定性、コーチャビリティを調べることに同じ時間を使うと言う。
数字は入口に過ぎず、最終的な判断は「人間をどう読むか」にある。
またコモリはサンフランシスコ・49ersのCEOの言葉を自分の哲学として引用する。
「最高のアイデアが勝つ——誰が提案したかは関係ない」。
トゥールーズでもユヴェントスでも、この原則をチームの文化に埋め込もうとしている。
コモリはトッテナムで解任され、リヴァプールでも失敗と評された。フェネルバフチェも短命に終わった。それでも彼は常に、次のステージで復活してきた。
コモリはトッテナムやリヴァプールで自らが連れてきたスポーツ分析の人材が育ち、やがてイギリスのSDの多くに影響を与えた。現在RB大宮アルディージャのヘッドオブスポーツを担うスチュアート・ウェッバーはコモリのもとで働いたことでSDを志したという。

先見性のある人間は、自分が去った後に正しいと証明される。
それがコモリのキャリアを貫く逆説だ。
ベンハムがブレントフォードを数学で変えたとするなら、コモリは欧州サッカーのフロントオフィスという職業そのものを変えた人物だ。あの記者会見で言ったことは正しかった。15年後どころか、今や欧州のすべての主要クラブがSDやGMを置いている。
データと直感、失敗と復活、そして「常に一手先を読む」
——ダミアン・コモリという男の物語は、まだ続いている。
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参考・出典
- ESPN — How Comolli’s ‘one step ahead’ approach propelled him to football success https://www.espn.com/soccer/story/_/id/38998255/after-spurs-liverpool-comolli-aiming-take-toulouse-top
- Training Ground Guru — Damien Comolli: From Tou-lose to Tou-win https://trainingground.guru/articles/damien-comolli-how-we-went-from-tou-lose-to-tou-win
- CBS Sports — Toulouse’s Damien Comolli explains ‘almost exclusively data driven’ transfer approach https://www.cbssports.com/soccer/news/toulouses-damien-comolli-explains-american-owned-clubs-almost-exclusively-data-driven-transfer-approach/
- TransferRoom Blog — Thinking Outside the Box https://blog.transferroom.com/thinking-outside-the-box
- Football Italia — Juventus chief Comolli on choosing a new coach https://football-italia.net/juventus-chief-comolli-on-choosing-a-new-coach/
- Yahoo Sports / GianlucaDiMarzio — Juventus CEO Comolli comments https://sports.yahoo.com/articles/juventus-ceo-comolli-kelly-decision-191000731.html
- Analytics FC Podcast — Episode 17: Damien Comolli https://soundcloud.com/analytics-fc-podcast/episode-17-damien-comolli
- Wikipedia (EN) — Damien Comolli https://en.wikipedia.org/wiki/Damien_Comolli