ガンバ大阪が託したドイツ人指揮官38歳、イェンス・ヴィッシング監督とは

AFCチャンピオンズリーグ2 グループステージ MD6 ガンバ大阪 vs ラチャブリー @吹田市立サッカースタジアム

2026年、ガンバ大阪の歴史に新たな一ページが刻まれます。

新監督として招聘されたのは、38歳。J1全クラブの中でも屈指の若さを誇るドイツ人指揮官、イェンス・ヴィッシング氏です。これは、Jリーグにおける「監督選びの常識」を覆す戦略的で野心的なプロジェクトと感じます。

欧州最先端の知性と、飽くなき野心を携えた若き指揮官。
その歩みと哲学を深掘りします。


目次

  1. 選手時代:挫折が知性を鍛え上げた左サイドバック
  2. 指導者キャリア:26歳でのから「指導の専門家」へ
  3. Jリーグ・ガンバ大阪への招聘
  4. 志向するフットボールとガンバの未来

1. 選手時代:挫折が知性を鍛え上げた左サイドバック

アカデミー時代:名門での英才教育

1993–2001|SGグローナウ
ヴィッシング氏のフットボール人生は、ドイツ・ヴェストファーレン州のグローナウで始まりました。5歳で地元クラブのSGグローナウに入団し、左サイドバックとしてのキャリアをスタート。幼少期から優れた守備的ポジショニングと卓越したボール扱いを見せ、将来を嘱望される存在となります。

2001–2004|シャルケ04
13歳で名門シャルケ04のアカデミーへ引き抜かれると、ドイツ屈指の育成環境でプロ基準の強度、戦術理解、規律を徹底的に叩き込まれました。

2004–2007|プロイセン・ミュンスター(ユース)
16歳でプロイセン・ミュンスターのユースへ移籍。U-17、U-19の主力として活躍。当時から彼の「戦術を読む力」は際立っていました。


プロキャリア:名将たちとの邂逅

19歳でトップチームに昇格。ここで彼は、後に指導者人生を決定づける人物、ロジャー・シュミット氏(当時同クラブを指揮)と出会います。

2007–2010|プロイセン・ミュンスター
左サイドバックとして不動の地位を築き、リーグ優勝と4部昇格に貢献。3シーズンで公式戦99試合に出場する鉄人ぶりを見せました。

2010–2011|ボルシアMG: 名門ボルシアMGへ加入。
セカンドチームでの堅実な守備が評価され、同シーズン中にトップチームに昇格すると、ホッフェンハイム戦で念願のデビューを果たします。
当時のチームメイトには後にバイエルンへ移籍するダンテらがおり、ミヒャエル・フロンツェック、そして名将ルシアン・ファヴレの下で、トップレベルの戦術環境を体感しました。

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ボルシアMGのヴィッシング氏

2011–2014シーズン|SCパダーボルン07 & MSVデュイスブルク

SCパダーボルン07
2011年、2部のパダーボルンへ移籍。
しかし、度重なる怪我により2シーズンで出場は12試合に留まり、安定したコンディションを保つことができません。

MSVデュイスブルク
2013年夏、再起をかけて3部デュイスブルクへ加入するも慢性的に抱えていた足首の深刻な負傷が再発。
懸命なリハビリを続けたものの、公式戦出場は叶いませんでした。


26歳での引退:選手から「指導の専門家」へ

ヴィッシング氏は26歳の若さで現役引退を発表。
「プロとしてプレーを続けることは不可能」という苦渋の決断でしたが、この挫折こそが、知性派指導者誕生の起点となりました。


2. 指導者キャリア:26歳での引退から「指導の専門家」へ

■主な指導歴
2014.7~2019.6  1.FCギーヴェンベック 監督(ドイツ)
2019.7~2020.6  ボルシア・メンヒェングラートバッハ II アシスタントコーチ(ドイツ)
2021.7~2022.6  PSVアイントホーフェン アシスタントコーチ(オランダ)
2022.6~2024.8  SLベンフィカ アシスタントコーチ(ポルトガル)
2025.6~2025.10 レッドブル・ザルツブルク アシスタントコーチ(オーストリア)


26歳での引退は、彼にとって絶望ではなく「新たな専門性の獲得」への号砲でした。ヴィッシング氏は、自身の怪我という負の経験を、最新の身体科学とビジネス理論でアップデートしていったのです。


フィットネス事業で起業:『FiveHomeFitness』

ヴィッシング氏は、2014年に26歳の若さで現役引退を余儀なくされた直後、自身の怪我の経験をポジティブに転換するため、2015年にスタートアップ企業「FiveHomeFitness」を共同創業しました。

  • 設立の背景と目的: 彼はプロ生活を足首の負傷で断念しましたが、そのリハビリ過程で「ジムに通う時間がない人々や、自宅で効果的にトレーニングしたい人々」へのニーズを痛感しました。そこで、理学療法士のダヴィッド・メンベルク氏と共に、「場所を選ばない、個人の身体特性に最適化されたトレーニング」を提供するビジネスを開始しました。
  • 具体的なサービス内容:
    • 自重トレーニング(Bodyweight Training): 高価なマシンを使わず、自重と最小限の器具で最大の効果を出すプログラム。
    • ホリスティック(包括的)アプローチ: 単なる筋トレだけでなく、栄養分析や生活習慣の改善をセットで提案。
    • モバイル・パーソナルトレーニング: 顧客の自宅やオフィス、屋外の公園などにトレーナーが赴くスタイル。
  • 指導者への影響: この起業経験を通じて、彼は「個々の選手のフィジカル特性をデータ化し、最適な負荷を管理する」という現在の指導スタイルの基礎を築きました。また、プロイセン・ミュンスターなどの古巣クラブと提携し、選手のコンディショニングサポートを行うなど、ビジネスとフットボールを融合させていきました。


経営管理:『Fachwirt(ファッハヴィルト)』の取得

ドイツの教育制度において「Fachwirt」は、実務経験と高度な専門知識を証明する国家公認の資格であり、大学卒業と同等の価値を持つ「マスター職」の学位に相当します。

  • 取得の経緯: 彼は指導者ライセンスの取得と並行して、通信教育で「Sportfachwirt(スポーツ経営管理士)」の課程を修了しました。
  • この資格が意味するもの:
    • 組織マネジメント: クラブを一つの「企業」として捉え、予算管理、人事、マーケティング戦略などを体系的に理解していること。
    • 論理的思考: 感情や経験則だけでなく、経営的な合理性に基づいて判断を下す能力。
  • ガンバ大阪でのメリット: 彼が水谷社長に対して行ったプレゼンが「極めて的確で論理的だった」と言われる理由はここにあります。クラブの課題を「現場の戦術」だけでなく「組織全体の構造」として捉え、改善策を提示できるのは、この経営管理の素養があるからです。


原点:下部リーグでの“現場叩き上げ”

引退直後の2014年、ドイツ・ヴェストファーレン州下部リーグで指導者としての第一歩を踏み出す。

2014年から2019年までの5年間、彼はトップチームと育成年代の両方に携わり、ランデスリーガやベツィルクスリーガといった地域リーグで、戦術・フィジカル・育成の全領域を実践的に学びます。
2017/18シーズンには、チームはランデスリーガ・ヴェストファーレンで好成績を収め、クラブにとって重要な節目となるオーバーリーガ・ヴェストファーレン(6部)昇格を達成。
当時の監督ベンヤミン・ヘーケのもと、ヴィッシングは主にフィットネスと戦術準備を担当し、昇格の一翼を担いました。


プロ組織への入口:ボルシアMG II

2019年6月、古巣でもあるボルシアMGに帰還。
セカンドチーム(U-23)のアシスタントコーチとして、レギオナルリーガ・ヴェスト(4部リーグ)での戦いに身を置きます。

2019/20シーズンはハイコ・フォーゲル監督のもとで40試合、
2020/21シーズンはアリー・ファン・レント監督のもとで25試合、
計65試合に携わり、プロ予備軍の育成と競争環境を経験しました。


ロジャー・シュミットとの再会:PSVで始まった“参謀”の道

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左:シュミット氏 右:ヴィッシング氏

2021年7月、ロジャー・シュミット(現Jリーグ・グローバルフットボールアドバイザー)に招聘され、オランダの名門PSVアイントホーフェンのアシスタントコーチに就任します。

2021/22シーズン、PSVはエールディヴィジ2位でシーズンを終え、さらにKNVBカップ決勝でアヤックスを3-0で撃破し優勝
クラブにとって3年ぶりの主要タイトル獲得に貢献しました。
また、当時所属していた堂安律を直接指導し、日本人の持つ規律とポテンシャルを深く理解します。

ヴィッシングの役割はシュミットの掲げる
ハイ・インテンシティ、即時奪回、縦に速いトランジション」
――その抽象度の高い思想を、戦術設計とトレーニングに落とし込む役割を担っていました。


思想の完成形:SLベンフィカでの飛躍

2022年夏、ウィッシングは再びシュミットと共にSLベンフィカへ渡ります。

2022/23シーズン、ベンフィカは勝点87・クラブ史上38回目のリーグ優勝を達成。さらにUEFAチャンピオンズリーグではベスト8進出という快挙を成し遂げました。
翌シーズンもリーグ2位(勝点80)、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリヴェイラを制覇。

この黄金期において、ヴィッシングはシュミット流「高強度プレッシング・システム」の実装責任者の一人として、戦術、映像分析、守備組織の構築を担いました。


RBザルツブルクでの洗練

2025年6月から10月まで、レッドブル・ザルツブルクでトーマス・レッチュ監督のもとアシスタントヘッドコーチを務めます。
公式戦22試合に携わり、シーズン序盤の安定した戦いを支えました。

特に評価されたのは、映像分析能力と若手ディフェンダー育成
RBグループ特有の「育成×結果」の両立を、現場で体現しました。


3. Jリーグ・ガンバ大阪への招聘

今回の就任劇でも特筆すべきは、ガンバ大阪が実行した「データに基づいたスカウティング」です。

これまでJリーグの監督選びは、エージェントの紹介や過去の実績といった「アナログな縁」が主流でした。しかし、ガンバは英国のデータコンサル会社「Twenty First Group」や、Jリーグの欧州拠点「J.LEAGUE Europe」のデータベースを活用。数千人の候補から、クラブが求める「攻撃的数値」と「若手育成実績」に合致する人物として、ヴィッシング氏を特定しました。

水谷社長は語ります。

「彼が提示したプレゼンは、ガンバの現状を極めて的確に評価し、どう改善すべきかを論理的に示していた。その真摯な姿勢を見て、彼と仕事がしたいと確信した」

欧州の他クラブからもオファーがある中、彼は「ガンバから受けたフィーリング」を信じ、キャリア初の第一監督としての挑戦の場に日本を選んだのです。

https://youtube.com/watch?v=KK3jSjLvwv4%3Frel%3D0

4. 志向するフットボールとガンバの未来


ヴィッシング氏が志向するのは、受動的な守備を完全に排した「完全なる能動的フットボール」です。

  • Brave(勇敢に): 相手を恐れず、高いラインを維持する。
  • Active(能動的に): 攻守の切り替えを極限まで速め、最短距離で縦を突く。
  • United(団結して): データに基づき、全員が連動して立ち位置を変え続ける。

練習中、彼は「前を意識したプレー」を執拗に称賛します。トレーニングマッチ直後にフィジカルメニューを課すその厳しさは、すべて欧州基準の強度を青黒の戦士たちに植え付けるためのものです。

知名度や経験ではなく、ポテンシャルと適合性で選ばれた38歳の知将。
これは、ガンバ大阪という伝統あるクラブが、自らのアイデンティティを最先端の知性で再構築しようとする「静かなる革命」にほかならない。

2026年──ガンバ大阪の歴史は、イェンス・ヴィッシングという名と共に、新たなチャプターへと突入します。


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参考

Announcement of new Head Coach Jens WissingWe are pleased to announce that Jens Wissing will be taking owww.gamba-osaka.net

Zweite Halbzeit – Die Bank – Volksbank Gronau-Ahausvbga-diebank.de

https://www.worldfootball.net/person/pe21230/jens-wissing

Olá, Senhor Wissing! – Die Bank – Volksbank Gronau-Ahausvbga-diebank.de