
かつて横浜F・マリノスでリーグ優勝を経験し、現在はプロのアナリストとして独立、日本サッカー界の「分析」の概念をアップデートし続ける、杉崎健氏。
キャリアのスタートは、意外にも「データ入力のアルバイト」から始まった。プロ経験も指導者ライセンスも持たない彼が、いかにして猛者たちがひしめくJリーグの現場で「絶対的な信頼」を勝ち取ったのか。
そして見据える「日本代表W杯優勝」へのロードマップとは。
アナリスト | 株式会社ksap株式会社KSAP(ケーエスエーピー)とは何か、どんな事業を手掛けているのか。 スポーツ、データ、アナリティクス、分析、DXwww.ksap.co.jp
目次
- キャリアの原点
- スキルを武器にヴィッセル神戸へ
- 仙台で学んだ「環境」という名の戦術
- 変革期のビッグクラブ「横浜F・マリノス」へ
- 日本代表W杯優勝」のために組織を変える
- 日本はアナリストで世界トップになれる

アナリスト | 株式会社ksap株式会社KSAP(ケーエスエーピー)とは何か、どんな事業を手掛けているのか。 スポーツ、データ、アナリティクス、分析、DXwww.ksap.co.jp
1. キャリアの原点
ーアナリストを目指したきっかけから教えてください。
:私のキャリアは、最初からアナリストを目指していたわけではありませんでした。幼稚園から高校までサッカーをしていましたが、プロになれるレベルではありませんでしたし、大学時代は怪我もあり、フットサルサークルで蹴る程度でした。 そんな時、サークルの先輩に「データスタジアム」でのアルバイト募集を勧めていただいたのが全ての始まりです。最初はデータ入力や分析、プレビュー記事の執筆といった仕事をしていました。
ーそこからどのようにして、クラブの「中の人」であるテクニカルコーチ(アナリスト)への意思が固まっていったのですか?
:アルバイトから社員になり、業務内容が「対クラブ」へと変わったことが大きかったです。 作ったデータをJリーグクラブへ提供したり、その処理を行う中で「テクニカルコーチ」という存在を知りました。彼らがどんな仕事をしているのか、その職務内容を理解し始めてから興味を持ち始めました。
業務内容はデータ提供の窓口的な役割が主でした。クラブの強化部長や監督、コーチ陣に対して「このデータはどう使うべきか」「データで表現したいならこう扱うべきだ」といった提案や、未契約クラブへの営業プレゼンも行っていました。
── 現場との距離が縮まったわけですね。
:2010年頃からトップ層のクラブや代表チームとやり取りをするようになり、現場の仕事が具体的に見えてきました。 また、ワールドカップ期間中に『ワールドサッカーマガジン』に出向して編集作業を手伝う経験もしました。
メディアの視点と、データを提供する現場サイドの両方を経験する中で、「自分にはテクニカルコーチの方が合っているのではないか」という感覚が芽生え出しました。
── 2014年、ヴィッセル神戸へ移籍されます。この経緯は?
: 当時、データスタジアムのクライアントの一つがヴィッセル神戸で、やり取りをしていた監督から「出向という形でクラブのために働いてくれないか」と話をいただきました。
「それなら脱サラして行きます」と答えました(笑)。
その頃、海外で「トラッキングデータ」が導入され始めた時期で、日本でもどう取り入れるかというフェーズでした。データスタジアムの主軸はいわゆる「プレーデータ(On the ball)」でしたが、今後間違いなくトラッキングデータの時代が来ると感じていました。そこで、いち早くチャレンジしようと手を挙げたのがヴィッセル神戸だったのです。
── 今振り返ると、プロ経験や指導経験がない中でもオファーをもらえた要因は何だったとお考えですか?
: 一つは、当時日本国内で「トラッキングデータ」を扱える人材が複数人程度しかいなかったことです。 プレーデータを扱える人はいても、トラッキングデータと映像を紐付けて処理できる人材は圧倒的に少なかった。テクニカルコーチ自体がニッチな分野であり、さらにその中でも希少なスキルを持っていたことは大きかったです。
それに加えて、データスタジアム時代に多くのクラブとやり取りをする中で培った人脈やコネクション、信頼関係の作り方が評価されたのだと思います。クラブとしても先進的な試みをしたいという想いがあり、そこに私のスキルがハマった形です。
2. スキルを武器にヴィッセル神戸へ
── ヴィッセル神戸での具体的な業務内容は?
: 分析担当として、主に対戦相手の分析を担っていました。
自分たちの試合には帯同せず、次週の対戦相手の試合を現地へ観に行き、徹底的にスカウティングします。ストロングとウィークを洗い出し、レポートを作成し、自チームの映像とデータを組み合わせてゲームプランを提案する。そして選手に対してスカウティングミーティングを行うのがルーティンでした。 それ以外にも、練習の撮影やサポートなどもやりました。
── 映像編集は神戸に行かれてから初めてだったそうですね。
: そうなんです。話をもらってから入団するまでの1〜2ヶ月の準備期間で独学で勉強しました。実務レベルでは入ってから掴んでいきました。
── いきなりプロクラブという結果が求められる環境へ飛び込むことに、プレッシャーはありませんでしたか?
: 映像編集やデータを扱えるかどうかの不安は全くありませんでしたが、「元プロ選手でも指導経験もない人間が、現場に受け入れられるのか?」という心配はすごくありました。選手との距離感や接し方も最初は手探りでしたから。
だからこそ、まずは信頼を得るために「圧倒的なギブ(Give)」をしようと決めました。 入団直後のキャンプで、所属している全選手のプレー集を独自に編集し、アドバイスも入れたDVDを作成して、一人ひとりに配ったんです。「こういうことできますよ」という自己紹介代わりのアピールですね。
能動的に動き、自分の「使える部分」を見せる。
結果として、これが信頼への第一歩になりました。
3. 仙台で学んだ「環境」という名の戦術
── その後、ベガルタ仙台へ移籍されます。なぜ移籍を選んだのでしょうか?
: 仙台からは神戸でのシーズン1年目が終わった時にも、2年目が終わる時にも熱心に声をかけていただいていました。その熱量が大きかったこと。
加えて、家族の問題や地理的な要因もありました。私自身ずっと関東で育ち、妻も埼玉出身。初めての関西生活で友人もいない中、妻のケアも考え、関東へのアクセスが良い仙台への移籍を考えました。
また、神戸での2年目は監督が変わり、役割が「対戦相手分析」に特化されたことで、現場と関わる機会が減り、選手との接点も少なくなっていました。仕事内容は変わらないものの、少し閉塞感を感じていたのも事実です。
── 仙台での経験で印象に残っていることは?
: 仙台では「環境要因」の重要性を痛感しました。 雪国なので、冬のキャンプが長かったり、練習前にピッチの雪かきからスタートしたりします。
また、夏は比較的涼しいのですが、アウェイに行くと灼熱の中での試合を強いられる。そのため、トレーニングで厚着をさせて暑さに慣れさせるなど、様々な工夫が必要でした。
── 分析のアプローチも変わりましたか?
: ガラリと変わりました。それまでの私は、戦術やシステムといった「盤上の分析」に注力していました。 でも、仙台の環境を経験してからは、スカウティングの内容をアップデートしました。天候、ピッチコンディション、気温。これらもまた、勝敗を左右する重要な情報です。
「分析」とは、単に数字を見て戦術を伝えるだけではない。試合が行われるリアルな状況すべてを想像し、準備することなのだと気づかされました。
この視点は、その後のキャリアにおいても僕の大きな強みになっています。
4. 変革期のビッグクラブ「横浜F・マリノス」へ

── 2017年、横浜F・マリノスへ加入されます。この移籍にはどのような背景があったのでしょうか?
: きっかけは、データスタジアム時代のご縁でした。
2011〜12年頃、東京大学ア式蹴球部でテクニカルアドバイザーを務めていたのですが、当時そこにいらした利重孝夫さんが、マリノスの強化責任者になられたのです。
その頃、マリノスはシティ・フットボール・グループ(CFG)と提携を始め、クラブ全体が大きく変わろうとしている時期でした。強化部もスタッフも、選手も入れ替わる「変革期」です。 CFGの持つグローバルなネットワークや、最新のデータを使いこなせる体制を作りたいというタイミングで、声をかけていただきました。
私としても「優勝を狙えるビッグクラブ」での仕事には魅力を感じていましたし、サラリー面や家族の生活環境、そして何より、
「変革期のチームで、自分だからこそできる仕事がある」という挑戦心に動かされ、移籍を決断しました。
── マリノスでの役割や働き方はどう変わりましたか?
: 大きく変わったのは、試合中の「リアルタイム分析」に重点を置くようになったことです。 テクニカルコーチは2人体制で、現在ファジアーノ岡山でトップチームコーチを務めている小坂 雄樹さんとタッグを組みました。
基本的には二人で自チームと対戦相手の両方を見ていましたが、試合当日の動きは明確にシステム化されていました。
私はスタジアムの上から試合映像を撮影しながら、戦術的な修正ポイントをチェックします。横にいる小坂さんがPCで「スポーツコードを使ってリアルタイムにタグ付け(コーディング)を行っていく。
連携しながら、ハーフタイムに向けて映像を準備します。
── ハーフタイムのロッカールームで、即座にフィードバックを行うわけですね。
:全体への指示は監督が行いますが、僕たちは個別の修正を担当していました。タブレットを持って、「右サイドの君にはこのシーン」「左サイドの君にはこれ」といった具合に、映像を見せながら具体的な修正点を伝えます。
それまでの「事前準備(スカウティング)」中心の業務から、試合の勝敗に直結する「ライブ分析」へと役割がシフトしました。
── マリノスでの4シーズン、やはり2019年のリーグ優勝は特別かと思います。
: 優勝はもちろんですが、私のアナリスト人生において最も衝撃的だったのは、2018年に就任したアンジェ・ポステコグルー監督との出会いです。
彼が私のサッカー観、仕事観をガラリと変えました。
── 何がそれほど違ったのでしょうか?
: 「ブレない信念」です。 サッカーには正解がないので、通常アナリストは監督の考えに合わせて色を変える「カメレオン」であるべきだと思っていました。多くの監督は、負けが込むとシステムを変えたり、戦術を微修正したりします。でも、彼は違った。 どんな相手だろうと、どんなに苦しい状況だろうと、自分たちのスタイルを絶対に曲げない。「俺たちのサッカーが正解だ」と信じさせるリーダーシップと、それを貫き通す胆力が凄まじかった。
2018年は結果が出ず苦しい時期もありましたが、「この人は本物だ、絶対に成功する」という確信めいたものを感じていました。
── その信念はチームにどのような変化をもたらしましたか?
: 最も顕著だったのは「トレーニングの強度(基準)」です。
2019年、J2やJ3で活躍して移籍してきた選手たちが、キャンプの初日に絶望的な顔をしていたのを覚えています。「この強度が毎日続くんですか…?」と。 外から来た選手が「異常だ」と感じる強度が、中にいる僕たちにとっては「日常(スタンダード)」になっていた。夏に加入した選手も、最初はヒーヒー言っていても数ヶ月後には適応していく。
ある時、他クラブの監督とお話しした際も、「マリノスの練習、強度が異常に高くない? これが普通なの?」と驚かれました。
── ポステコグルー監督の「基準の高さ」は、杉崎さん自身のアナリストとしての考え方にも影響を与えましたか?
: もちろんです。自分の「見る目」を根本から変えなければならないと痛感させられました。
最も大きかった気づきは、「外から見ている景色と、中にいる人間の感覚は全く違う」ということです。 マリノスのトレーニングは外から見れば「異常な強度」に見えるかもしれません。新加入選手や他チームの指導者が驚くように、客観的な数値で見ても高い。でも、中にいる僕たちにとっては、それが「当たり前」の日常。
サッカーというスポーツは広いので、漫然と見ているだけでは気づけませんが、トレーニング一つとっても「どこに基準(スタンダード)を置くか」で、見える世界はガラリと変わります。
「見る側」がどの高さに基準を持っているかによって、評価は全く異なるものになる。 彼の下で、その「世界基準」とも言える高いハードルを肌感覚として持てたことは、私のアナリストとしての「意志」のようなものになりました。
5. 「日本代表W杯優勝」のために組織を変える
── マリノスで優勝を経験した後、独立を決意されます。その背景にはどのような想いがあったのでしょうか?
:「日本代表がワールドカップで優勝する」という夢があります。
笑われるかもしれませんが、本気でそう思っています。ただ、それを実現するためには、選手の質はもちろんですが、スタッフの質も世界一でなければなりません。
2014年にドイツ代表が優勝した際、彼らのバックには数十人規模の「アナリスト集団」がいました。組織としてデータを解析し、チームを支えていたのです。 日本が世界一になるには、数人の優秀なアナリストを育てるだけでは足りない。大規模なアナリスト集団を作らなければ追いつけない。
そう考えた時、クラブに所属したままでは動きづらい。 だからこそ、一度外に出て、アナリストの認知拡大と育成を行うために、独立してチャレンジする道を選びました。
── 最初から独立を逆算してキャリアを歩んでこられたのですか?
: 最初からここを目指していたわけではなく、キャリアの「積み上げの結果」です。目の前の課題や移籍、多くの人との出会いの中で必死にやってきた結果、マリノスでの優勝という実績がついてきました。
もし実績ゼロで独立しても説得力がありません。「優勝クラブのアナリスト」という肩書きがあったからこそ、僕の声に耳を傾けてくれる人が増え、こうしたチャレンジが可能になったのだと思います。
── 杉崎さんがプロの世界で生き残れた要因、ご自身の強みは何だと分析されていますか?
: 大きく二つ、「仕事のスピード感」と「予測力」です。
スピード感に関しては、監督やコーチから「これ出して」と言われたら、即座にパッと出す。このレスポンスの速さは常に意識していました。
そしてもう一つが「予測力」です。 一般的にアナリストの仕事は、相手の過去の試合を分析して「ウィークはここ、構造はこう」と示すことだと思われがちです。でも僕はその先、「だから次の試合では何が起きるか」という未来の現象まで踏み込んで伝えていました。
── 具体的にはどのような?
: 例えば、SBの選手に「相手のウイングはこういう癖があるから、試合中に一度だけこういう仕掛けをしてくるかもしれない。頭の片隅に入れておいて」と伝えたことがあります。 実際に試合でそのシーンが訪れ、彼はそれを防ぐことができた。試合後に「杉崎さん、言われてなかったらやられてたよ」と言ってもらえた時は嬉しかったですね。
もちろん外れることもありますが、この「予測の的中率」が高かったことが選手が先を見据えて動ける助けになり、他のアナリストとの差別化に繋がったのだと思います。
── 現在はオンラインサロンなどで後進の育成もされていますが、プロクラブの一員になれる人とそうでない人の違いは何だと感じますか?
: 一番の違いは「分析力」よりも「パーソナリティ」です。
分析のスキルやツールの使い方は、入ってからでも伸ばせます。でも、メンタリティや性格といった部分は簡単には変えられません。 プロの現場は過酷です。だからこそ、素直さや勤勉さ、コミュニケーション能力といった人間性の部分がしっかりしている人は評価されやすい。「この人ならチームに入れも大丈夫だ」と思わせるパーソナリティがまず土台にあって、その上にスキルが乗っかるイメージですね。
杉崎氏が運営するオンラインサロン
6. 日本はアナリストで世界トップになれる
── 最後に、日本人アナリストの可能性についてどうお考えですか?
: 私は、アナリストという職種において、日本人は世界トップになれるポテンシャルを持っていると確信しています。 海外の方と仕事をして痛感しましたが、日本人ほど真面目で、几帳面で、正確性を重視する国民性はありません。この「細部へのこだわり」は、データ分析において最強の武器になります。 実際、ドイツ人も日本人に近い気質を持っていて、彼らは組織的に分析を行ってW杯を制しました。
── つまり、日本人の国民性がアナリストに向いていると。
: そうです。今まで単純にトライする人が少なかっただけで、適性は世界一だと思います。ここを極めれば、間違いなく世界トップのアナリスト集団を作れる。 ただ、評価されるには「結果」が必要です。日本代表がW杯で勝たない限り、いくら分析がすごくても「世界一」とは認めてもらえない。
だからこそ、僕自身もパーソナルアナリストとして選手の成長を支えつつ、組織として日本代表を勝たせるための準備を進めていきたい。それを実現できるのは、日本人しかいないと思っています。
── 将来の目標について、改めて教えてください。サロンの運営や新たな事業を通じて、どのような景色を見据えているのでしょうか?
: まず大前提として、「日本代表がワールドカップで優勝する時に、当事者として横に関わっていたい」という夢があります。 そのために組織づくりもしていますが、別事業として「パーソナルアナリスト」という活動にも力を入れています。
選手個人と契約し、彼らのプレーを分析して、キャリアアップやレベルアップをマンツーマンでサポートしています。 実際に、サポートしている選手の中から数名、すでに海外クラブへ飛び立っている選手も出てきています。
将来的にはこの活動をもっと広げていきたいですね。
自分がサポートして育てた選手が日本代表に入り、僕もスタッフとしてそこに入り、最終的に一緒にワールドカップで優勝する。
今はまだ「超・夢物語」かもしれませんが、そんな結末を本気で目指しています。
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