Sporpath Career Interview-水戸ホーリーホック営業部 眞田 光一郎氏

2025年悲願のJ1昇格を果たし、日本サッカー界に旋風を巻き起こした水戸ホーリーホック。その躍進の裏側には、ピッチ上の戦術と同じくらい緻密で、情熱的なビジネスサイドの立役者がいました。
今回のゲストは、同クラブの営業部を牽引する眞田光一郎氏
一般企業の営業マンから、当初まだ環境が未整備だったJリーグクラブの営業職へ転身。
そこで確かな成果を積み上げ、現在は前職より充実した条件の中で、スポーツビジネス特有の圧倒的な充実感を噛み締めています。フロントの奔走はいかにしてチームの勝利へと還元されるのか。彼が手繰り寄せた、ビジネスとピッチを繋ぐ「見えない糸」の正体に迫ります。
スポーツ業界でキャリアを築こうとするすべての方へ、挑戦の裏側にある「覚悟」と「戦略」を伺いました。

眞田 光一郎(さなだ こういちろう)氏
株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホック 営業部
大学卒業後、学習塾の営業職として5年間勤務し、無形商材のセールススキルを磨く。その後、人材紹介会社を経て、2018年に水戸ホーリーホックへ入社。法人営業、スポンサーシップ獲得の最前線で活躍し、広告収入の劇的な向上に貢献。2025シーズンのユニフォーム広告完売、そしてクラブ史上初のJ1昇格を支える強固な経営基盤の構築を牽引している。

目次

  1. 高校時代に描いた逆算と積み上げの設計図
  2. 無形商材の営業で磨いた「自分を売る」技術
  3. 30歳を目前に抱いた「当事者」への渇望
  4. 水戸ホーリーホックでの挑戦と、スポーツ営業の本質
  5. ユニフォーム広告の完売
  6. スポーツビジネスの「リアル」と「報酬」の考え方
  7. スポーツを「手段」にするということ
  8. 採用情報:共に「旋風」を巻き起こす営業人材を募集

1. 高校時代に描いた逆算と積み上げの設計図

――まず、スポーツ業界を志した原点から伺えますか。

 明確に意識したのは高校生の頃です。キャリア指導が始まる中で、プレーヤーではなく「ビジネスの側面からサッカーに携わりたい」という想いが芽生え始めました。当時、まず興味を持ったのは「代理人」でした。しかし、資格試験の内容を調べると民法や労働法など、法的な専門知識が大きなウェイトを占めている。そこで、「まずは法律を学ぼう」と大学の法学部へ進学を決めました。

――高校生でスポーツビジネスに興味を持つのは珍しいですよね。

 確かにそうですね。ただ、実際に代理人業で活躍されている方々をリサーチするうちに、彼らの多くは、最初から代理人を目指して逆算していったというより、様々なキャリアを積み上げ、その結果として「必要とされて」そのポジションに辿り着いている。 ならば私も、焦ってスポーツ界に飛び込むのではなく、まずは一人のビジネスパーソンとして「どこでも通用する武器」を磨くべき。自分なりのルートを辿って、後々スポーツに携われたらいい。そう考え、最初はスポーツ以外の業界で勝負することを選びました。

――当時の眞田さんに影響を与えた方はいたのでしょうか。

 周りの方々には非常に恵まれていたと思います。特に高校時代のトレーナーの方は、私の視座を大きく広げてくれました。 「選手やコーチなどの現場だけでなく、それを支える「経営・ビジネス」のプロが必要。そこが成長して初めて、業界の課題が解決されていく。日本は海外と比較して、ビジネスの面ではまだまだ伸び代しかない。君はそこで活躍し、サッカー界に貢献しろ」と。
この言葉が、私の思考の土台になりました。


2. 無形商材の営業で磨いた「自分を売る」技術

――新卒で「学習塾の営業」を選ばれた経緯は、どのようなものだったのでしょうか。

 父が生粋の営業マンだったこともあり、「セールスマン」というイメージは持っていました。扱う商材を考えたとき、形のある「モノ」ではなく、目に見えない「価値」を売る無形商材のほうが力がつく。そう考え、スポーツの次に興味があった教育業界を選びました。

――そこではどのようなスキルが養われましたか?

 主にB to C(対個人)の反響営業でしたが、「自分自身を商品の一部にする」という感覚を徹底的に養いました。サービスの内容以前に、まず自分という人間に共感していただき、信頼してもらう。マーケティングの視点も持ちながら顧客にアプローチし、本音を引き出し、入会へと繋げる。
「どんな仕事であっても、すべては将来のスポーツビジネスへの原体験に繋がる」と信じていました。ここで5年間、数字に対する責任感と、顧客との深い向き合い方を学べたことは、今の私を支える大きな財産です。


3. 30歳を目前に抱いた「当事者」への渇望

――その後、人材会社へと転職されますね。その背景にはどんな戦略があったのでしょうか。

教育業界での経験を経て、次はいよいよ「BtoB(対法人)の経験」を積むべきだと考えました。将来的にスポーツビジネスの世界で戦うためには、法人の意思決定プロセスを理解し、経営層と対等に渡り合える腕を磨くことが不可欠だと感じていたからです。
当時はまだ、キャリアの延長線上にスポーツビジネスをイメージできていませんでした。無形商材を売るBtoBのプロになるための最短ルートとして、人材紹介会社という環境を選びました。

――人材会社時代に苦労されたことや、得られた武器は何でしたか?

 対象とする顧客もコンテンツも前職とは一変したため、最初は法人特有の階層に合わせたヒアリングや、案件のエスカレーションに非常に苦心しました。新規求人の開拓から人材のマッチングまで、スピード感と緻密さの両方が求められる現場でした。
しかし、そこで身についた「法人の思考・思想を汲み取る力」こそが、今に直結する最大の武器になっています。具体的には、企業の日常業務の裏側にある経営課題を想像し、そこに対してどう価値をぶつけるか。社内でどのように稟議が回っているのか。そうした「組織の動かし方」を実体験として学べたことは大きかったです。

――その経験が、今のスポンサー営業にどう活きているのでしょうか。

 「企業に対してスポーツの価値を提供し、その対価をいただく」という今の仕事の本質は、人材紹介時代に学んだBtoBビジネスの枠組みそのものです。 単に看板を売るのではなく、企業の未来に対する「創造性」や「思考」を膨らませ、その一助としてクラブの価値を提案する。
人材会社で培った「顧客の課題を解像度高く捉える観念」があったからこそ、今の私はパートナー企業に対して、単なる支援を超えたビジネスパートナーとしての提案ができているのだと感じています。「どんな仕事であっても、すべては将来のスポーツビジネスへの原体験に繋がる」と信じていました。ここで5年間、数字に対する責任感と、顧客との深い向き合い方を学べたことは、今の私を支える大きな財産です。


4:水戸ホーリーホックでの挑戦と、スポーツ営業の本質

画像
眞田光一郎氏

――その後水戸ホーリーホックへ。何が眞田さんを突き動かしたのでしょうか?
 人材紹介会社としてスポーツ業界の求人もいくつか扱う中で、「人を送り出す側」に立っていることに猛烈な違和感を覚えたのがきっかけです。
キャリア支援のプロという立場になると、自ずと市場を多角的に、そして客観的に見ることになります。その視点で自分のキャリアを俯瞰したとき、「30歳目前の自分が、現場の当事者としてチャレンジできる時間は限られている」という現実に直面しました。そこで自ら挑戦の場を探し始めました。

当時は今ほど「Sporpath」さんのようなスポーツ専門プラットフォームはなく、人材のPRも薄い時代でした。必死に求人情報を漁る中で出会ったのが、水戸ホーリーホックでした。

――数ある選択肢の中で、なぜ水戸ホーリーホックだったのですか?

 スポーツへの関わり方には「in Sports(中から支える)」「for Sports(外から支える)」「with Sports(共に歩む)」という3つの形があります。私はこれまでのキャリアで培ったスキルを最大限に活かすなら、クラブの内側(in Sports)で活躍したいと強く思いました。
水戸の採用活動は驚くほどスピード感が早く、応募の翌日にお電話をいただき、2017年末の面談から2018年1月には入社。当時は2017シーズンに前田大然選手(現セルティック)や林陵平さんが在籍し、新拠点「アツマーレ」竣工によるJ1ライセンスの条件付き取得など、まさに「成長フェーズ」の入り口。
この伸びゆく環境に身を置くことで、自分自身もクラブと共に成長できると確信したのです。

――入社直後は、かなりハングリーな環境だったと伺いました。

 はい(笑)。当時はクラブの規模的にも、年収は前職から下がり、正直なところ生活コストを下げざるを得ませんでした。
最初はクラブを深く理解するために、ユースやトップチームの選手たちが暮らす寮に入りました。 当時ユースに所属していた手塚さん(Sporpathインタビュアー)のような若い選手やトップの選手と衣食住を共にする生活から、ハングリーさを養う日々。
その生活があったからこそ、「彼らがより良い環境でプレーできるように、スポンサー営業活動で貢献しよう」という、強烈な使命感も芽生えました。

――入社当時、水戸ホーリーホックの営業現場をどのようにご覧になっていましたか?

 当時の広告収入はJ2で最低ランク。営業リソースも不足しており、お客様との接点も作りきれていない状況でした。ある程度は予想していましたが、最大のギャップを感じたのは「スタッフのマインドセット」です。
当時レンタル移籍の選手が多く、シーズンごとに主力選手が大きく入れ替わっていました。そのため、営業スタッフが「成績が悪くてすみません」「選手がいなくなってすみません」と、どこか謝りながら企業を訪問していたんです。
私の思うに、セールスの肝とは、自分という人間を通してクラブの価値を表現し、パートナー企業の課題を解決することです。チームの成績や編成に左右されない、揺るがない『ブランドの価値』を提示できなければ、真のビジネスパートナーにはなれません。そこで、まずはチームの魅力やブランドの提供方法を一から見直し、共通のクラブ紹介資料を作ることから始めました。

――「サッカークラブの営業」とは、具体的にどのようなお仕事なのでしょうか。

 ミッションは非常にシンプルで、「広告収入を通じてチームの強化費に貢献すること」です。
広告収入は他の項目に比べて利益率が高く、チームの補強や環境整備に直結しやすいため、フロントの中で最もピッチ上の結果に影響を及ぼせる仕事だと言えます。
業務内容自体は、一般企業の営業と大きく変わりません。戦略を立て、ミーティングを重ね、オンラインや訪問を通じて提案を行う。夜にお客様とサッカーをするような特殊なケース除いて、基本的には極めてオーソドックスなビジネスの積み上げです。

――一方で、スポーツクラブ特有な面はどこにあると感じますか?

 大きく3つの側面があると考えています。
1つ目は、「ステークホルダーの圧倒的な多様性」です。
BtoBを盛り上げるためには、その土台となるBtoCの確保が不可欠です。さらには行政、地域住民、老若男女問わず、非常に広い属性の方々と対峙します。社内各部署との密な連携が、そのまま営業の成果を左右する面白さがあります。

2つ目は、「アクションの影響範囲の広さ」です。
一つの広告が決まれば、ファン・サポーターからダイレクトに大きな反響をいただけます。そのポジティブなリアクションが巡り巡ってスポンサー企業に伝わり、さらに深い関係性が築かれる。この善の循環は、一般企業の営業ではなかなか味わえない醍醐味です。

そして3つ目が、「感情のボラティリティ(変動)」です。
スポーツは極めて定性的なものを扱う仕事です。勝利の歓喜や敗北の悔しさといった、感情の爆発的な湧き上がりこそが、ビジネスを前に進める強力な推進力になります。この「理屈を超えた熱量」を扱えることこそが、スポーツ営業の最大の魅力ではないでしょうか。

画像
眞田 光一郎氏

5. ユニフォーム広告の完売

――これまでの9シーズンで、特に印象深いエピソードはありますか?

 2025シーズン、ユニフォームの広告収入が完売した瞬間は、言葉にできないほど感慨深かったです。ユニフォーム広告はクラブにとって最も単価が高く、象徴的なもの。全部で8箇所ある枠を、自分たちが一件一件「手売り」で埋めきった。それが完了したのが2025年9月でした。(後にJ1昇格)
入社前年にJ2最低ランクの1.9億円だった広告収入を、2025シーズン末時点で約4倍まで引き上げることができた。
高校生の頃に描いていた「ビジネスで業界に貢献する」という夢に、少しだけ手が届いたような気がしました。

――地域を代表する大口パートナーとの取り組みについても教えてください。

 パートナー企業の皆様は、単なる広告主ではなく、共に地域を創る「同志」です。水戸を起点に、世界に名だたる企業がこれほどまでの熱量で投資してくださる。その期待に応え、広告収入を最大化させることが、チームの強化費、ひいてはサッカー界全体の発展に繋がります。 もちろん、コロナ禍やチーム成績の低迷など、自分たちではコントロールできない苦難もありました。しかし、どんな時も臨機応変に、誠実に向き合い続けることで、信頼の絆を深めてこれたと自負しています。

ーー悲願のJ1昇格を果たした今、眞田さんはこの結果をどのように受け止めていますか?

 正直なところ、当初抱いたのは「驚き」に近い感情でした。社長の小島も常々発信してきましたが、クラブとしてJ1昇格というフェーズは、本来であればあと5年ほど先の未来として描いていたロードマップだったんです。

ただ、この想定外のスピード感での昇格には、確かな因果関係があったと考えています。フロントサイドの努力として、J2最下位クラスだった広告収入を、なんとかJ2中位クラスにまで引き上げることができていた。そして、その限られた原資を、現場のチームスタッフや選手たちが最高の形で使いこなし、結果に変えてくれた。それが私から見た「昇格の経緯」です。

画像
水戸ホーリーホック営業部

6. スポーツビジネスの「リアル」と「報酬」の考え方

――スポーツ業界への転職を考える際、多くの人が「年収の壁」で悩みます。

 実際、始めは厳しさを感じた時期もありました。
それでも「30歳手前で一度勝負に出て、もし上手くいかなければまた方向転換すればいい。ここで得られる経験は他では絶対に買えない」と考えていましたし、実際私自身の報酬も、現在は前職より充実した条件の中で仕事をしています。
働き方も多様で、正社員だけでなく業務委託など、個人のキャリアプランに寄り添う形が増えています。近年では個人毎のタスクに紐付いた人事評価制度も設定されるなど、組織としての労務管理も劇的に改善されており、優秀な人材が定着しやすい環境に進化しています。

――水戸ホーリーホックで働くことの魅力とはどこにあるのでしょうか。

 一言で言えば、圧倒的な「手触り感」です。
水戸は親会社を持たない独立した市民クラブであり、地域の皆さんの純粋な思いと熱量によって支えられています。
私がよく同業の仲間たちと合言葉のように言い合っている言葉があります。
それは、「フロントの仕事ぶりとチーム成績は見えない糸で繋がってる」ということ。
誰か一人の意志で動く組織ではないからこそ、自分たちフロントの一歩一歩が、直接クラブを前に進めているという実感が持てる。今、水戸はその言葉が日本で一番似合うクラブになりつつあると感じています。自分たちの情熱が、巡り巡ってピッチ上の勝利や昇格という結果に結びついている。その概念をより深めていける環境こそが、最大の魅力ですね。

画像
水戸ホーリーホック営業部

――仕事への向き合い方、そして人生とのバランスについてはどのようにお考えですか?

 世の中ではよく「ワークライフバランス」が議論されますが、私たちの仕事は「ワークとライフがいい意味で混ざり合い、人生そのものが豊かになっていく」という感覚に近い。
私自身、水戸に来てから結婚し、子供も生まれました。今では家族全員が水戸ホーリーホックの試合を楽しみ、私の仕事を応援してくれています。
これは、単なる「収入」や「待遇」だけでは決して得られない、人生における最高の報酬だと思っています。
ここで働くことが、スタッフ一人ひとりにとっても、その家族にとっても、人生の豊かさを象徴するような1ページになる。これからも、そんな組織であり続けたいと強く願っています。


7. スポーツを「手段」にするということ

――今後の展望を教えてください。

 私自身がこのクラブで長く働き、成果を出し続けること。それが、後に続く人たちの「道しるべ」になると信じています。具体的には、水戸ホーリーホックが永続的に「稼ぎ続ける」ための内外の環境整備。そして、J2水準ではなく「J1基準」のクラブ経営へとシフトしていくための舵取りを担っていきたいです。Jリーグが公開している決算情報を緻密に分析し、トップクラブと自分たちの差を一つひとつ埋めていく。そんな挑戦の真っ只中にいます。

――最後に、スポーツ業界を目指す方々へメッセージをお願いします。

 「サッカーが好き」「スポーツに関わりたい」という熱意は素晴らしいものです。しかし、一歩プロの世界へ踏み出すなら、スポーツを「目的」ではなく「手段」として捉えてほしいです。
スポーツという圧倒的な熱狂を生むツールを使って、社会に対して、企業に対して、どのような価値を証明できるか。その「問い」を持ち続けられる方と一緒に、この業界を面白くしていきたいですね。100人いれば100通りの「スポーツの使い道」があるはず。
その多様性が、日本のスポーツを、そして世界をより豊かに変えていくと確信しています。


8. 採用情報:共に「旋風」を巻き起こす営業人材を募集

水戸ホーリーホックでは、眞田氏と共にビジネスサイドからクラブの歴史を創り上げる、情熱を持った営業人材を募集しています。

▼詳細・応募はこちら(ログイン後に閲覧可能)
水戸ホーリーホック・法人営業


Sporpathへの登録はこちらから👇

https://app.sporpath.com/talent/signup